麻布十番には3店の更科蕎麦屋が存在し、年越し蕎麦を食べるため年末は大晦日を中心に各店行列が多く発生する。
「麻布永坂 更科本店」(七代目から屋号使用の許諾を受け開業)、「永坂更科 布屋太兵衛」(店舗・会社組織として株式会社永坂更科布屋太兵衛が(旧)布屋太兵衛を継承)、「総本家 更科堀井」(店主が(旧)布屋太兵衛の創業者の直系)の3店が存在することとなる。いずれも近隣にあり、3店が並ぶ麻布十番は更科系老舗の密集地帯となっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B4%E7%A7%91_%28%E8%95%8E%E9%BA%A6%E5%B1%8B%29
更科蕎麦はその白さと、上品な香りが特徴
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「更科(さらしな)」は、蕎麦の産地である信州更科(さらしな。現長野市の一部)に保科家の「科」の文字を組み合わせたもの。
更科の特徴は、蕎麦殻を外し、精製度を高め、胚乳内層中心の蕎麦粉(更科粉、一番粉)を使った、白く高級感のある蕎麦(更科蕎麦)である。
ソバの実を挽くと中心から挽かれて出てくることから、後から出てくる粉に比べて、最初に出てくる一番粉が白く上品な香りを持つ。一番粉を使用した蕎麦が「更科蕎麦」である。
3店はそれぞれ、屋号を巡り裁判→和解を繰り返し現在に至る。
信州の織物の行商人をしていた清右衛門なる者が、江戸での逗留先としていた麻布・保科(ほしな)家に勧められ、麻布永坂町で蕎麦屋をはじめた、とされている。
昭和恐慌による出資先麻布銀行の倒産、戦時体制による統制などに加え、七代目松之助の放蕩が駄目押しになり(旧)布屋太兵衛は昭和16年(1941年)にいったん廃業する。
※各店の写真は全て2013/12/30 ランチタイムの12:30頃の写真
総本家 更科堀井
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店主が(旧)布屋太兵衛の創業者の直系。昭和59年(1984年)に八代目松之助が独立して麻布十番に開店するが、屋号に「布屋」を用いていたため永坂更科布屋太兵衛側と裁判となる。商標権をもたない八代目松之助は布屋を名乗れず、自身の姓である「堀井」をつけ店名を「総本家 更科堀井」に改称
最も人気店で行列も長い。12月31日の大晦日にはテレ日朝日が毎年中継に来る。(テレ朝からは歩いて5分の位置にある)
http://tabelog.com/tokyo/A1307/A130702/13001226/
永坂更科 布屋太兵衛
店舗・会社組織として株式会社永坂更科布屋太兵衛が(旧)布屋太兵衛を継承。七代目松之助と当時の麻布十番商店街会長である小林勇などが中心となり、昭和24年(1949年)に「永坂更科 布屋太兵衛」を再興
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麻布十番商店街のど真ん中にある。店前の路上にてお土産用の蕎麦を一番売っている。
http://tabelog.com/tokyo/A1307/A130702/13015155/
麻布永坂 更科本店
七代目から屋号使用の許諾を受け開業。七代目松之助から屋号使用の許諾を受けたとする馬場繁太郎が「永坂更科本店」を開業する。屋号の使用につき裁判となるが、七代目が馬場に渡した承諾書がでてきたため和解。
麻布十番の新一の橋の交差点の角にある。麻布十番商店街からは唯一離れているがまさに永坂の横にある。
http://tabelog.com/tokyo/A1307/A130702/13015155/
食べログの評価はいずれも3.5前後で横並び。列の長さは更科堀井の圧勝。立地から麻布永坂 更科本店があまり並ばなくても入れるかも?
みなさんどの店に行きますか?